友情論

僕の地元は不良よりも「笑い」のできるやつが天下人の典型的な大阪の地域であるが、25になっても小学校からの仲間は今でもほとんどがよく遊んでいる。
僕は、高校・大学といくうちに神戸に下宿もしたため、だんだん疎遠となりごくたまに遊ぶ程度になった。ひいきなくして僕が思うに、地元の笑いレベルは比類なく高く、常に意表をつく笑いがあちこちから飛び交う。高校に入学して「おもろいなぁ」と人が言うことになにか物足りなさを感じ、地元のレベルの高さを再認識することが多かった。しかしそんな環境に僕は甘んじ、過ごしていくうちに地元のノリとどんどん差が開いてゆく。僕は普通の会話の毎日、地元では次々としゃしゃり出てより笑わせるために切磋琢磨し、腕を上げている。地元の友達は日々の生活が「笑いの修行」なのである。そんなこんなで、僕は地元の誰が何をしているともわからなくなり、地元のヤツらは一回り仲間を増やし楽しくやっている。僕と地元は自然に別世界に進んでいたはずであった。しかし、たまに野球をする時、地元友達がバーをOPENした時、地元組に混じって僕にも声を掛けてくれる。最初は、なつかしく思いながら、みんな何してるかとか会話を楽しむが、次第に僕は話題が無くなる。地元の友達は、発想力と瞬間のインスピレーションそしてチームワークで1つのことに2重3重の笑いを重ね、盛り上がっていく。僕はブランクで話題とスピードについていけずただオーディエンスとなり笑うだけになる。僕自身はそこにいてすごく楽しい、みんな尊敬するくらいおもろい。しかし、盛り上がっているところに乗っかる腕はなく、みんなを楽しませることができないことに心苦しくなる。僕にも大阪の血が流れているため自分の姿がもどかしくてしかたない。みんな気を遣いながら僕にふっている姿が目に見えてわかり、僕も申し訳なく思う。一回り増えた僕の知らない仲間が見ると不思議に感じているだろう、本当に友達なのかと。その時僕は次からは呼ばれなくても、それはしかたがないことだと思った。しかし、相変わらずみんなは誘いを掛けてくれた。そしてある時、どうしようも手を借りたい事があり伝えても、時には笑顔で、時には親身に、真剣に手を貸してくれた。恩を感じ、誘いにはできるだけ応えて行くも、やはり乗り切れなくて落ち着かず、何もできず、みんなにとって面白くもなんともない。しかし、みんな何事もないように誘ってくれる、突然こっちの家にも来てくれる、そして先日は突然おごってくれた。彼らになんのメリットも思い浮かばないし、なぜだか僕には全くわからなかった。昨日、よく考えてみた。誰に聞くでもなく答えは簡単にでた。それは、単に昔からずっと友達だからである。それに気づいた瞬間、涙が出そうになった。知らないうちに僕のほうから疎遠になり、友達の壁を、浅はかな基準をつくっていたのである。僕はなぜかわからなかった自分を情けなく思った。そして、良き友達に恵まれていることに気づいた。気の合う、趣味の合うだけが友達じゃない。昔よく遊んだのも深い友達なのである。僕は友達に何かをされるばかりで何もしていない。今からなにかをできるようになりたい。そして、これまで以上に友達をずっと大事にしたいと思った。


今日のサプライ'z
①遊んだ後はやっぱ実験漬け、ダブルヘッダー延べ24時間(予定♪)